交際0日婚、結婚10年目の「感謝の宴」、父勉…放送作家・鈴木おさむの結婚と育児

交際0日婚、結婚10年目の「感謝の宴」、父勉…放送作家・鈴木おさむの結婚と育児

交際0日で結婚を決断し、婚姻届を出しに行く日に初めて二人きりになった「0日婚」。

結婚7年目の神前式に、10年目の感謝の宴。そして妻による「妊活」休業宣言と、夫による育休=「父勉」の1年取得。

たびたび話題になってきた放送作家・鈴木おさむさんの結婚と子育て生活。それは、自分の人生に変化をおこすタイミングを決断し、人生で大切にしたいことを選び続けた日々だったのです。

「自分の人生は、自分で舵を取る」

その意志で針路を決め、自分の全力を追い風にして「人生」という船を進めてきた鈴木おさむさんが、妻・大島美幸さんとの16年目の結婚生活、そして3年目に突入した子育てについて語ります。

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▼プロフィール
鈴木おさむ(すずき・おさむ)
1972年千葉県生まれ。放送作家。中学高校の頃からラジオとテレビが好きで、19歳で放送作家デビュー。映画・ドラマの脚本や小説の執筆、作詞家やラジオパーソナリティなどでも活躍。2002年に森三中・大島美幸さんと結婚。2015年、第一子が誕生。2018年には『ラブ×ドッグ』で映画監督デビューを果たす。
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結婚したから、「背骨」に気づいた

── 鈴木さんはもともと結婚したいお気持ちはあったんでしょうか?

正直あまりなくて。それよりも、大島さんと出会った頃が僕にとって自分の人生をものすごく動かしたくなるタイミングだったんです。自分で舵を切らないと、人生って意外と動かないじゃないですか。だから10年に一度くらい、自分の人生の舵を切る瞬間があるんです。

僕にとって最初に人生の舵を切ったタイミングが、放送作家の仕事に集中するために大学を退学したとき。大学は退学届を出しても引き止めてくれない。もう仕事で生きていくしかないって覚悟を決めたわけです。「よし、この仕事一本で行くぞ」って決めて校門まで歩いているときに、後頭部がすごく熱くなって。それが一回目。

二回目が、結婚です。放送作家10年目に初めて連ドラの脚本を書かせてもらったのですが、ドラマの現場ではバラエティーの経験が通用しないことも多く、とてもしんどかったんです。「この10年、何をやってきたんだろう」と落ち込みました。そこで、ゼロから自分の筆で書いてつくったもので、人を笑わせたい、感動を届けたいと思って、若手の芸人さんと舞台をやろうと決めたんです。その頃から、芸人さんとよく飲みに行くようになり、そんな中で出会ったのがうちの妻です。大島さんに初めて会ったときに「結婚しよう」って言って、もちろん言えばみんなが笑うというのもあったんですけど、そのときも後頭部が熱くなる感覚があったんです。それが二回目の、人生の舵を切ったタイミングでしたね。

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── 大島さんと交際0日で結婚されて話題になりましたが、今振り返ってみると何が決め手になったんでしょうか。

僕はずっとおもしろいものをつくる仕事に命を懸けてきた。30歳まではとにかくそればかりやっていました。だから「おもしろさ」が自分の人生の“背骨”になっているんです。

出会う前から僕はテレビで大島さんを観ていて、芸人さんとしてすごく好きだった。それって、例えば好きなミュージシャンもそうですけど、自分の大切な部分と何%かでも同じだから好きになるじゃないですか。人間的にすごく大切な部分、価値観が一緒だから好きになったんだと思うんですよ。愛情じゃなくても、大島さんへの最大限の愛おしさとリスペクトは最初から持っていたわけです。

でも背骨が大事だなんて、妻と結婚して、あとから気がついたこと。「結婚してストレスがないのはなんでだろう」と考えたときに、「あ、背骨が一緒だったからか」と気づいたわけです。人生のパートナーは、自分が大切にしていること、僕にとっては何をおもしろいと思うかっていう部分が重要で、それが背骨だなって。

結婚10年間のストーリーを詰め込んだ感謝の宴

── 鈴木さんと大島さんは披露宴を開かれないまま、結婚生活7年目で神前式を挙げられたんですよね。

結婚披露宴って、自分の結婚のために何十人も集まるわけじゃないですか。人生最高にちやほやされる。それを超える幸せを結婚生活で夫一人が担うのって、かなり大変だと思うんですよ。実際に離婚した人に聞いてみても、結婚してすぐに開いた披露宴がピークになっちゃった、って言っている人が多くて。僕らはそういうことをすっ飛ばして結婚しているので、挙式なんて全然考えていなかったんです。

でも奥さんが1回目の流産をして、占い師さんから「神前式を挙げないと、夫婦って認めてもらえない」って言われたんです。それもあって、結婚して7年目に親族を集めて伊勢で神前式を挙げました。奥さんは「式に興味はない」と言っていたけれど、実際に花嫁衣装を着た彼女は本当に嬉しそうだったし、お互いの家族もすごく喜んでいて。これは家族のために開く儀式なんだな、と実感しましたね。僕らはこの神前式で本当に夫婦になれたのかもしれない。

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── その後結婚10年目で感謝の宴を開かれていますが、どんなきっかけがありましたか?

奥さんが2回目に流産した後、僕が出会った着物デザイナーに「披露宴やっていないの?」「10年目だったらやったほうがいいわよ」って言われました。神前式をやるときの占い師もそうですけど、これって人とのつながりじゃないですか。僕はそういう“人との縁”を大切にしているんです。せっかく素敵な提案をいただいたので、今やるのもいいなと思って。結婚10年目だから感謝の宴にしました。

── 感謝の宴はご自身にとってどんな場になったんでしょうか。

最初に妊娠した時、検査薬が反応したときから、流産が分かった直後に妻が泣きながらあんまんを食べるところまで、ずっとカメラで撮っていた映像があるんです。それを使って、二人が結婚して10年でいろいろあったし、流産もあった。でも奥さんは体を張って仕事を頑張っていますっていうVTRを作りました。みんなかなり泣いてくれて、そして笑ってくれたんですけど、それが忘れられない。

流産で残念なことになっちゃったことって、周りも言うに言えないじゃないですか。妻は苦しみから立ち上がったけれど、夫婦の間でもお互いに話さない。なんとなく小骨が刺さっている感覚があって、モヤモヤっとしている……ずれみたいなもの。その自分の中にあったモヤモヤを、映像を使ってプラスなものとして表現したかったんです。

例えば史上最大の夫婦喧嘩がおきたとしましょうか。そういうことも、人に話せばすごく笑える。結婚して10年の間にすごく大切な家族を失ったとして、辛いけれど「感謝の宴」であらためて家族にありがとうって伝えられる。そういう自分たちの中でモヤってしていることを「感謝の宴」で出すことで、プラスのエンターテイメントに昇華される。それが、やってよかった理由ですね。

写真4.jpg── 10年間一緒に過ごしてきたお二人の大切なものを振り返る、ということなのでしょうか。

大切なものを振り返るんですけど、それだけじゃなくて二人の間にたまっていたモヤモヤをも、みんなの前に出すんです。背骨を矯正するイメージ。10年一緒に過ごしていたら絶対にいい思い出ばかりじゃないんですよ。喜びだけじゃなくて、悲しみや怒りもある。我慢していることもあるし、離婚しそうになったこともあるかもしれない。そういう10年間のストーリーって、友だちにも言っていないはずなんです。

そうやって、最初は一緒だった二人の背骨にずれが出てくるから、ずれも含めて「感謝の宴」でみんなに共有するんです。披露宴だと共有するのって喜びしかないですけど、世の中ってそれだけじゃない。それでも10年結婚生活を過ごせたから、感謝しますってみんなに伝えて。10年の物語がある分、結婚してすぐの披露宴より120%感動しますよ。結婚10年とか15年とか節目のタイミングでの感謝の宴、すごくおすすめしたいです。

自分の人生に欠けていたピースを「父勉」で取り戻した

── その後2015年に第一子が誕生するわけですが、鈴木さんが子育てのために放送作家の仕事を休もうと思われた理由はありますか?

奥さんが「妊活休業」を発表したとき、僕はすごいなと思ったんです。当時は妊活なんて、僕も聞いたことがなかった。でも「妊活」という言葉を自分が世の中に発信することで、同じ悩みをもつ女性たちがちょっと言いやすくなるんじゃないか、って奥さんが話していて。妊活ってゴールがないし批判もある中で、奥さんは矢面に立つ覚悟で宣言した。結果、確かに「妊活」って言葉が以前よりメジャーになったし、影響があった。それってすごく勇気のいることだから、そんな奥さんに対して自分は何もしなくていいのかなって思ったのが一番大きいですね。

あとは10年以上前に、仕事マンだった先輩ディレクターが育休を取って、「0歳から1歳までの期間はすごくクリエイティブだから、一緒に過ごすのは大切なことだと思う」って言っていたのがずっと頭の中に残っていたんですよ。自分の人生で大切にしたいもの、優先順位をはっきりさせていて、かっこいいなって。

しかもちょうど仕事を始めて20年、結婚してから10年、人生で3度目のざわざわしているタイミングだった。ある程度仕事をやってきたし、自分が次の舵を切るなら、今ここだなって。

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── 実際にお子さんが生まれてから、大島さんが半年で仕事に復帰されて、鈴木さんは一年間放送作家の仕事をお休みされたんですよね。鈴木さんにとってどんな一年だったんでしょうか。

うーん……、こういう言い方をしていいのかわからないんですけど、他の一年と同じように楽しくて素晴らしい一年でした。もともと自分の中では常にオンオフがないので、あの一年間は子育てをメインにしていて、今は仕事をメインにしていることにあまり違いがなくて。何かに対して全力でやることは、仕事においても育児においても変わらないと思っています。その分、全力でやったら返ってくるものも大きいですよね。

一番大きかったのは、自分が人として失っていたパズルのピースを取り戻せたこと。仕事をしていると、自分が見ないで通り過ぎたことを、誰かがやってくれるんですよね。誰かがやってくれているんだけれど、誰がやってくれているのかちゃんと見てはいない。例えば他の部署の仕事を全然知らないけれど、ずっと見ていると「ああ、こうなっているのか」って驚くことがすごくあるはずなんですよ。

それが家庭においても一緒だなと思って。気づいたら奥さんがやってくれていて、それが普通になってしまう。でも、当たり前ですけど、子どもって放っておいたら生きていけないじゃないですか。そういう存在と一年間向き合って、家庭と向き合ったことで、閉じていた様々なフタを開けて「あ、こうなっているんだ」と思える瞬間があり、えらく感動したり反省したりしましたね。

僕が43歳まで生きてきて、知らないことっていっぱいある。子どものことだけじゃなくて、スーパーに毎日行くようになって、オクラの旬は夏だってことすら初めて知って。そういう人間として欠けていたパズルのピースをいっぱい取り戻せたと思いますね。

写真6.jpg── 近著『ママにはなれないパパ』で「イクメンではなく父親になりたい」と書かれていましたが、子育てによって大島さんとの関係性に変化はありましたか?

夫婦にとって、喜びの共通点が変わってきますよね。子どもが第一になる。同時に子どもを失いたくない気持ちもすごく強くなって、臆病になった自分がいます。喜びもそうだし、悲しみや恐怖に対しての幅も広がりました。あとはもう少し現実を見据えるようになったかな。前はいつ死んでもいいやって思って生きていましたけど、「自分が死んだらどうしよう」ってリアルに考えるようになりました。

おもしろいのが、奥さんと「背骨」が一緒だってことが子育てにも通じていて。子どもの小学校をどうするとか話すんですけど、意外と意見が一致するんです。すごく強烈に好きなものが似ていると、そういうところも似るんだなって思いました。だから子育てにおいてあまりぶつかることがないですね。

── ご自分の中で放送作家を休んでいた期間に大切にされていたことはありますか?

自分の時間を確保するようにしていましたね。家庭じゃないところからの吸収も僕には必要だった。子どもが22時ぐらいに寝て夜泣きをあまりしなかったので、奥さんとも話して23時以降は僕が何をしてもいいって決めたんですよ。必ず朝ごはんをつくることさえ守れば。

朝7時にごはんをつくるなら夜は寝るのが普通だと思うんですけど、寝ちゃうのはもったいないと僕は思って。原稿を書いたり、飲みに行ったりしていましたね。家族と遊びに行って疲れ切った日にも、23時から飲みに行って2時3時に帰ってくるような。そして野菜の皮むきと炊飯器のセットだけして寝る。

例えば映画が好きだったら映画を観に行ってもいいし、ゴルフをしてもいいし。子育てをしていても仕事をしていても、自分の中で大切なことをちゃんと大切にしたい。体力勝負になるんですけど、これが自分らしくあるための生き方だなと思いますね。

写真7.jpg(文:菊池百合子 / 写真:土田凌/編集:小松崎拓郎/企画:ウエディングパーク

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そんな鈴木おさむさんがリアルな育児の日々を綴った『ママにはなれないパパ』が発売されました!子どもが生まれてから1歳になるまでの一年間、「父勉」と称して育休をとった鈴木さんが、子どもと向き合い家事をこなし、そして仕事に復帰した毎日の中で得た気づきがぎっしり詰まっています。

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○書籍『ママにはなれないパパ

鈴木おさむ(著)
定価:1,404円
発行:マガジンハウス

息子 笑福(えふ)の誕生からの3年間を描く父親目線の育児奮闘記。
男がまったくわからない、「乳首痛い」問題。妻の不在で、一気に深まる父子の関係。 なりたいのは「イクメン」ではなく、「父親」。 「添い乳」の威力を思い知り、途方にくれる。 母親を守ろうとする、息子の必死さにショック。など全53話のエッセイと「父の気づき」

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