ウエディングドレスを、もっと自由に選んでいい。「THE HANY」のデザイナー・伊藤羽仁衣さんが考える、自分のためのドレス選び

ウエディングドレスを、もっと自由に選んでいい。「THE HANY」のデザイナー・伊藤羽仁衣さんが考える、自分のためのドレス選び


結婚式の憧れ、ウエディングドレス。

一生に一回の衣装選びにおいて、家族の思いや自分の体型、年齢を考えて「本当はこのドレスを着たいけれど、あきらめるしかないかな」と、自分を閉じ込める瞬間はないでしょうか。

「ウエディングドレスに、こうでなきゃいけないなんてない。自分が本当に着たいと思うドレスを選べばいい」と語るのは、ウエディングドレスのブランド「THE HANY」を手がけるデザイナーの伊藤羽仁衣さん。

レインボーや花柄などの華やかでかわいらしいドレスをデザインされている羽仁衣さんですが、年齢を問わずたくさんの人にドレスを楽しんでほしい、と話します。

22歳からウエディングドレスをデザインしてきた羽仁衣さんに、ウエディングドレスデザイナーになるまでの道のりとご自身のパートナーシップ、そしてドレスに込める願いをうかがいました。

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■ プロフィール
伊藤 羽仁衣(いとう はにい)

ファッションデザイナー。1980年北海道生まれ。デザイナーの父に師事し、13歳でコレクションに初出展。22歳で北海道札幌市に初めての店舗である「HANY WEDDING」を出店。レインボーカラーや花柄のウエディングドレスをいち早く手がけ、30歳で東京都港区北青山に「THE HANY」を出店。2011年『情熱大陸』で特集されて話題になる。公式サイト THE HANY
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誰よりも信じてくれる人がいたから、夢を追いかけられた

── いつからデザイナーになりたいと思っていたのでしょうか。

3歳です。家が服屋で父がデザイナーだったので、父には「デザイナーになりたいなら、デザイン画を毎日描きなさい」と言われて、10歳から毎日デザイン画の練習を始めました。この練習を20歳まで10年間続けたんです。

── ウエディングドレスをデザインしたいと決めたのは、どんなきっかけがあったんですか?

21歳のときに「ウエディングドレスのデザインだったら、一生続けられるかも!」とひらめいたことがきっかけです。

毎日デザイン画を描いてデザインの専門学校で勉強したけれど、自分が着ている服も好みも安定しなくて。自分のブランドを始めたところで、10年経っても同じ服を好きでいられるのか不安でした。

その頃ファッションショーを見ていたら、最後にウエディングドレスが出てきて。洋服には時代の流れや自分の好みの変化があるけれど、ウエディングドレスならたくさんの女の子の憧れだし、時代に左右されない軸がありますよね。

だから「ウエディングドレスのデザインなら、80歳になっても続けられるかも!やりたい!」と父に話したら、「じゃあ今すぐやろう」って言われて、翌年には当時住んでいた北海道にお店を出してくれました。

── お父さまがやりたいことを応援してくださったんですね。

そうなんです。当時の私はドレスに憧れて「やりたい!」って言っただけで、私も自分ができるとは思っていなかった。でも「絶対ぴったりだから」と父だけが私のことを信じてくれたんです。それなら、父が信じてくれているように自分を信じて頑張ろう、と思いましたね。

自分だけの「正解」の基準を磨いた

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── 22歳にしてご自分のお店を持った羽仁衣さんにとって、お店を出してからはどんな日々でしたか?

お店を開く前から父に「石の上にも三年だから、今は毎日真面目に仕事して、そしたら三年後に必ず形が見える」と言われていたので、最初の三年間はひたすら勉強でした。
一年目はまったくお客さんがこなくて、閑古鳥状態。でも父に「幸せは連鎖するから、まずはお客さんが喜ぶことをやればいいよ。楽しみなさい、楽しませなさい」と言われていたので、せめて一生懸命仕事しようと思って。そうしたら少しずつ、お客さんがお客さんを呼んでくれるようになったんです。

北海道にいた期間は、父のおかげでたくさんデザインの実験をできて、たくさん経験を積ませてもらいました。自分の好きなものを好きなだけ作っていたので、デザインで悩むことがなくてひたすら楽しかったですね。

── 具体的にデザインのどんなところが楽しかったのでしょうか。

自分が欲しいものや着たいものをデザインできること。私、数学が苦手なんです。これって決まった正解があるから。でも、デザインには正解がないんですよ。自分が「いい」と思えば、それがいい。この「いい」の感覚を磨けたのは、父のおかげです。

── お父さまからはどんなことを教わったんですか?

自分の感覚を信じることと、そのために自分の感覚を磨くことを教えてもらったんじゃないかな。

父はいつも私のことをたくさん褒めて、応援してくれました。私が高校生の頃はガングロメイクが全盛期だったので、私もへそ出ししたり日焼けサロンに行ったりしていたんですよ。そんな私に父は「いいよ、どんどんやりなさい。そして早く、自分のおしゃれの基準を見つけられるといいね」と言ってくれました。

あとは、私がきれいになることにすごく協力的。海外に行ったら必ず私にマスカラや口紅を買ってきてくれて、メイクの方法を伝授してくれるんです。己を知って磨いていけばもっとかわいくなれるよ、磨き続ければ歳をとるほど素敵になるんだよ、って教えてもらいました。

父は私が27歳の頃に亡くなったのですが、亡くなる前日まで香水をつけていたんです。その姿を見ていて、デザイナーとしての人生を全うしていてかっこいいなと思いました。だから私にとっての父は、プロデューサーであり師匠であり、一番の味方です。

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「こうでなきゃいけない」から自分を解放する

── お父さまが亡くなってから、羽仁衣さんにどんな変化があったのでしょうか。

当時お店を開けていた北海道から、東京に出ようと決めました。父が存命だった頃は東京に出るのを心配されていましたし、自分でも無責任に「東京に行きたい」と言っていたと思います。でも父が亡くなった瞬間に、自分で責任をとるしかなくなった。道が一本になったからこそ、覚悟が決まりましたね。

── 北海道から東京に出て、大変なことはありましたか?

30歳でお金を借りて青山にお店を出して、その翌年に東日本大震災があって。そもそも少なかった売り上げが、一気に飛んでいきました。従業員のお給料や家賃の支払いについて考えると毎日眠れなくて、この頃のことはあまり記憶がありません。

でもその後すぐに『情熱大陸』に取り上げていただいて、何とか売り上げが回復していったんです。放送日が父の日で、父に守ってもらえたのかなって。人と人とのつながりがたくさん重なって、こうして今でも大好きな仕事を続けられています。

── 東京でお仕事をされる中での変化はありますか?

こうでなきゃいけないって考えないようにしよう、と意識するようになりました。東京に出てきたばかりの頃、「ちゃんとしなきゃ」「デザイン画どおりに作らなきゃいけない」と無意識のうちに思考に制限を設けていた時期があったんです。でも私は本来自由でいたほうが仕事を進めやすいタイプですし、ウエディングドレスにおいて「こうでなきゃいけない」と制限してしまったらドレスを着られる人が狭まってしまいますよね。

今でもたまに「こうでなきゃいけない」に縛られそうになる瞬間があるのですが、すぐに自分への縛りから脱出しなきゃ、って意識しています。

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自分がどうありたいかを伝える努力を惜しまない

── パートナーの方とは、いつご結婚されたのでしょうか。

33歳のときに結婚しました。2年前に旦那さんがもともと勤めていた会社を辞めて、2019年から私の会社を社長として手伝ってくれています。だから仕事と家族、仕事と遊びの境界線がないんです。

── パートナーシップやご家庭において悩むことはありますか?

ないですね。私は自由にしているほうが幸せなタイプだと旦那さんが分かってくれているので、仕事においても家庭においても、大きい心で私を泳がせてくれているんです。旦那さんがいてくれるおかげで、私は楽しく過ごせています。

例えば私がネイルサロンに行くのが面倒で爪切りで爪を切っていたら、「サロンに行ってくればいいじゃない」って言うんです。買い物をしても「せっかくだから良いものを買ったらいいよ」「かわいいね」って。私のことを否定せず、私が輝くように誰よりも応援してくれます。

── 風通しがいい関係だと伝わってきます。何か意識されていることはありますか?

含ませたり遠回しにしたりしても伝わらないので、きちんと伝えるようにしています。「私はこう思っていてこうだから、こうしてほしい」って言葉で伝える努力が重要。逆に私からも「あなたのことはわからないから教えてほしい」って言いますね。これは、会社経営においても家族においても同じです。

でも私が思ったように伝えられるのは、旦那さんが何を言っても許してくれるから。私にとって旦那さんは、私の全てを受け止めてくれる人です。最近ますます、結婚して本当によかったなって思います。

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誰でも自分の「好き」を自分らしさに変えられる

── 今後はどんな挑戦をしていきたいですか?

私が作るドレスはどうしても個性が強いですが、もっとさまざまな方に「THE HANY」のドレスを着ていただけたら嬉しいですね。

この前、すごく嬉しかったことがあって。「娘の結婚式のドレスがあまりにもかわいかったから」って、結婚式を挙げていなかったお客さんのお母さんが、結婚35周年にTHE HANYのドレスを着てくれたんです。50代でかわいいドレスを選ばれて、その姿に感動しました。

ウエディングドレスって一生に一回の憧れだからこそ、もっと自由でいい。「このドレスをすごく着たかったけれど、ピンクだと私はもう若くないのでやめておく」じゃなくて、着たいドレスを着たらいい。その歳に合ったコーディネートをすればいいんです。

年齢や体型に関係なく、誰がどんなドレスを着てもいい。自分の「好き」を自分らしくすればいい。そんなメッセージを届けていけたらいいなと思っています。

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(取材・文:菊池百合子 / 写真:土田凌 / 企画編集:ウエディングパーク

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