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可能性を切り拓き、選んだ道を正解にする。ブライダルの伝道師・桂由美を支えてきた信念【仕事編】

結婚式の代名詞とも言える「ウエディングドレス」。

ウエディングドレスがつい半世紀前までは普及していなかったこと、知っていますか?

和装での結婚式が97%を占め、ウエディングドレスを自由に注文できるブライダル専門店が一つもなく、ドレスに使用する生地もレースも手に入らなかったかつての日本。

そんな時代に「花嫁を美しく輝かせるウエディングドレス」の力を信じて、百貨店に取り扱いを断られても「日本古来の結婚式の文化を破壊しようとしている」と非難されても、ドレスを着たいと願うお客さまのリクエストに応え続けてきた一人の女性がいます。

世界20ヶ国以上でブライダルショーを開催し、「ブライダルの伝道師」とも呼ばれるデザイナー・桂由美さん。

1960年代から一人で海外を飛び回ってファッションやウエディングについて学びを深め、常に新しい発想で花嫁を輝かせるデザインを発表し続ける。そんな桂さんの原動力とは?

今回の取材(前編)では、桂さんのお仕事についてうかがいました。

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▼プロフィール
桂由美(かつら・ゆみ)

ブライダルファッションデザイナー。東京生まれ。共立女子大学被服科卒業後、ファッションを学ぶためにパリへ留学。帰国後、1965年に日本初のブライダル専門店を赤坂にオープン。1975年「桂由美ブライダルハウス」を乃木坂に設立。ブライダルショーの開催にも注力し、海外でも「ユミカツラ」の名が知られている。常に新しいブライダルファッションを提案しながら、ブライダルにとどまらない創作を続ける。
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あきらめた道が、今の自分を支えている

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── 幼い頃からファッションに親しまれていたのでしょうか。

私の母は洋裁学校(現・東京文教学園)の校長でした。だから「お母さまの影響で、小さい頃から洋裁がお好きだったんでしょう?」とよく言われます。でも、私は裁縫がすごく苦手。小学6年生の時、授業でワンピースを仕立てたら、「洋裁学校は、長女であるあなたが継ぐんでしょう?ミシンもまっすぐに縫えなくてどうするの」と先生に苦言を呈されたことを忘れられません。

常に母親と比べられることを、私は心の中で「余計なお世話よ」って思っていました。母には優秀なお弟子さんがたくさんいたから、私が不得意なことを無理にやる必要はない、と。だから高等女学校(※1)に上がって好きなことをやろうと決め、挑戦したことが演劇だったんです。

※1 高等女学校:太平洋戦争以前の中等教育学校の一つ。現在の中学校に該当。

── 演劇ではどんな役割を担っていたんでしょうか。

自分が前に出るよりも、人をいかに美しく見せるか。それを考えることが楽しくて、プロデューサーになりたいと思っていたんです。自分で脚本を直して、みんなを集めて「あなたはこの役を演じて」って指導したりして。特に舞台衣装を考えることが好きでしたね。全体の作品がこういう雰囲気で、その中でこんな衣装を当てると役が輝くんじゃないか、といつも試行錯誤していました。

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── その後、演劇とはどのように関わられたんですか?

たまたま文学座付属演劇研究生募集の広告(※2)を見つけて、大学に入る頃に受けてみたら受かっちゃったんですね。だから大学一年では、大学と文学座を掛け持ちして通うことにしたんです。

でも文学座で他の研究生たちと出会って、自分の演劇的才能の限界を知りました。他の学生が演劇論を闘わせている中で、演劇の道でずっと生きていくのは難しいなって。たくさん葛藤しましたが、最終的には演劇の道を離れることに決めました。

あきらめた夢とは言え、「結婚式でいかに花嫁を美しく見せるか」という今の仕事の原点にあるのは演劇です。自分の成長や状況によって、夢や目指すものは変わっていく。大切なのは、そのときの自分自身に対して真剣であれるか。本気で努力した経験は後から自分の人生に大きく作用するんだな、と実感しています。

※2 文学座:1937年に結成された日本の劇団。数多くの著名な俳優を輩出している。

演劇と求められる役割の間に、天職を見つけた

── 演劇の道を離れた後は、ファッションのお仕事に切り替えられたんでしょうか。

はい。勉強に本腰を入れて、大学卒業後は母親の洋裁学校で講師をしました。洋裁自体は相変わらずあまり得意ではありません。でも、実際にミシンをかけてみせなくても説明は得意でした。何が良くて何が悪いかを分からせられればいいんです。そこから少しずつ、自分の将来像が見え始めました。

ちょうどその頃、ようやく海外への渡航が現実的になってきたタイミング。1960年に一ヶ月の服飾ツアーに参加して、その後パリの洋裁学校に一年間留学しました。パリでは日本で見たことがない「立体裁断」という個人の体型に合わせた方法が主流になっていたので、「本物」を必死に学びましたね。

もう一つ、パリに行ったことで「デザイナー」が自分の選択の一つになったのも大きな収穫でした。不器用と言われる私でも、デザイナーなら合うんじゃないかと思って。服の型を作るパタンナーにデザインを説明して、上手な人に縫ってもらえばいい。無理に私が苦手な仕事を引き受けるよりも、私が得意なことに専念したほうが結果いいものができる。ファッション業界の中で自分の役割を考える経験にもなりましたね。

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── 留学された頃から、ファッションの中でも具体的にブライダルに興味を持たれていましたか?

いえ、その頃はブライダルを仕事にしようとは考えていなくて。帰国してからたまたま専門学校の卒業制作として選んだのがウエディングドレスでした。でも日本では、生地もレースも、ウエディングドレスに使える材料がほとんどなくて。そうなるとデザインもかなり限られてしまいます。

びっくりして一体どういうことだろうと調べてみたら、当時の日本ではウエディングドレスを選ぶ人の割合が3%。あとはみんな和装だったわけです。ウエディングドレスの専門店もないし、デザイナーもいない。そんな現状を知ったときに、生徒の一人が「先生がウエディングドレスのお店を開いてあげたら良いのに…」と言ったんですよね。考えたこともなかったのだけれど、そのときに演劇のことを思い出しまして…。

ウエディングドレスって、いわば結婚式という舞台での舞台衣装じゃないですか。何よりも、ウエディングドレスをデザインすることは、演劇と同じように大勢の人を喜ばせられる仕事でしょう。感動してもらえることが私にとって原動力になるし、演劇で学んだことが活かせそうだと思ったんです。もしかしたら、これが私の天職になるかもしれない。じゃあまずは勉強しようと考えて、海外に行きました。

あきらめるよりも、拓ける道を探す

── 海外ではどんな旅をされたんでしょうか。

世界のブライダル事情を知りたくて、ヨーロッパを中心に一人で10ヶ月ほどまわりました。出会い、結婚式、ウエディングドレス、あとはその国の伝統や慣習も。「共産主義だとウエディングってどうなっちゃうの?」と興味を持って、尾行されながら旧ソ連の国内も巡りましたよ。

── 海外に行かれるのはパリ留学に続き二度目ですが、今より現地の情報がはるかに少ない中、お一人での旅路に不安はありませんでしたか?

世界一周を決めた時、ある出版社から特派員の任務を受けており、王族や女優などの各国の著名人に会う機会もあったので、常に不安も緊張もありました。でも、遠慮はしませんでしたね。日本に情報を持ち帰るために、やるしかないと思って。旅に出る前にブライダルの専門店を開く決意を固めていたので、ウエディングドレスを仕事にする覚悟が私を支えていたんでしょうね。

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── その後実際に専門店をオープンされてみて、反響はどうでしたか。

よく「どん底だった時期はありますか?」と聞かれるのですが、あるとすればオープンしてからの10年です。最初の年のお客さまは30名、それに対して社員は4名。社員にお給料を渡して、私はその10年間無給でした。大変といえば大変でしたね。でもやめようと思ったことはないし、そこまで苦労だと感じていなかったです。

── 日本で唯一のブライダル専門店として、特に大切にされていたことはありますか?

お客さまに対して「No」と言わないこと。だって私の店舗以外にブライダル専門店がない状況で私がお断りしてしまったら、お客さまには他に頼れる場所がないですから。そういう時代が長く続いたので、困難であるからと言って最初からあきらめることはしませんでした。 

例えば、ドレスと同じ色の靴が見つからなければ、ハイヒールにカットした布を貼る。ドレスに合うブーケやアクセサリーを作れる業者がいなければ、自分たちで研究して手づくりする。できるだけ「Yes」とお伝えする選択を模索することは、私たちにとっても非常に刺激になるんです。お客さまのご要望にお応えすることが新しいアイデアを生むことも。だからお客さまのリクエストは、今でも社員全員で大切にしています。

── 世界をお一人でまわられたことも、お客さまに「No」と言わないことも、あきらめたくなる道を最初からあきらめるのではなく、新しい道の可能性を考えて切り拓いていらっしゃるんですね。

弱気になったときに、いつも思い出すフレーズがあります。文学座にとって大切な舞台演目『女の一生』の言葉で、「誰が選んだのでもない、自分が自分で選んだ道ですもの。間違いだと知ったら、間違いでないようにしなくちゃ」と。

自分で選びとった仕事であり、一つひとつが自分で決断した選択です。選んだ道が「間違いでないようにする」、それをできるのは私だけ。だからいつもこのセリフを心に刻んでいます。

「なぜやるのか」を常に見失わずにいる

── 力強く時代を切り拓いてきた桂さんのお仕事を支えているものは、何でしょうか?

一番の励みは、お客さまの存在ですね。お客さまが結婚式の写真を持ってきてくださったり、お母さまとお子さまの親子二代で私のドレスを着たことを報告してくださったり。人が喜んでくれて、感動してくれて、時には涙を流してくれること。これは演劇をやっていた頃から変わらず、私の生きがいです。

「何のために」「誰のために」仕事しているのか。この大義名分が私を強くしてくれました。今でも「いい職業を選んだね」とよく言われますが、人生最高の日を迎える花嫁を最も美しく輝かせるのがウエディングドレスです。そんな特別な日のドレスをデザインするために、これからもやりたいことに挑戦しながら恋するように仕事していこうと思っています。

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参照:『新 結婚論』(桂由美・著、主婦と生活社)、『出会いとチャンスの軌跡』(桂由美・著、カナリア書房

(取材・文:菊池百合子 / 写真:土田凌/企画編集:ウエディングパーク
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イベントの詳細は特設ページでCHECK!
https://www.weddingpark.net/magazine/8408/
※応募は~4月24日(水) 23:59まで


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